柘植香合仏/懐中仏 【鑑真和上坐像】 ※紙箱入れ

KTBBH5-GJWJ

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鑑真和上

鑑真は唐の時代の中国で揚州江陽県に生まれました。14才で出家。7422年,揚州の大明寺に住んで,「律を講ずること70遍,人を度すること4万余」という彼の声望を聞いた日本の入唐僧,榮叡・普照の2人は,鑑真を日本に迎えて正しい仏法を伝えようと願い,彼もまたその熱意に応じて渡海を決意したと伝えられています。しかし彼の徳望を惜しむ皇帝の反対,暴風・盗賊などの難儀にあって5度にわたり失敗して、ついに潮風に侵されて失明しました。第6回目は密かに遣唐使の船に便乗し,753年12月,発意してより11年目にして67才で九州に到着しました。
754年1月、鑑真は平城京に到着し、聖武上皇以下の歓待を受け、孝謙天皇の勅により戒壇の設立と授戒について全面的に一任され、東大寺に住することとなりました。4月、鑑真は東大寺大仏殿に戒壇を築き、上皇から僧尼まで440名以上に菩薩戒を授けたと記録されています。これが日本の登壇授戒の嚆矢でした。併せて、常設の東大寺戒壇院が建立され、その後761年には日本の東西で登壇授戒が可能となるよう、大宰府観世音寺および下野国薬師寺に戒壇が設置され、戒律制度が急速に整備されてゆきました。
758年、淳仁天皇の勅により大和上に任じられ、政治にとらわれる労苦から解放するため僧綱の任が解かれ、自由に戒律を伝えられる配慮がなされました。758年、淳仁天皇の勅により大和上に任じられ、政治にとらわれる労苦から解放するため僧綱の任が解かれ、自由に戒律を伝えられる配慮がなされました。
759年、新田部親王の旧邸宅跡が与えられ唐招提寺を創建し、戒壇を設置しました。鑑真は戒律の他、彫刻や薬草の造詣も深く、日本にこれらの知識も伝えました。また、悲田院を作り貧民救済にも積極的に取り組みました。
763年、鑑真は唐招提寺で亡く(入寂)なりました。入寂を惜しんだ弟子の”忍基”は鑑真の彫像を造り、現代まで唐招提寺に伝わっています(国宝唐招提寺鑑真和上坐像)が、これが日本最初・最古の肖像彫刻とされています。鑑真和上が目を閉じて座禅をしているようなぬくもりがあり、鑑真和上76年の生涯がこの木像に全て凝縮されています。柔らかく柔和な表情は見るものの心を和ませるだけでなく、仏教に生涯を捧げ、民衆の平安を願った芯の強い人の生き様が伝わってきます。


材質:柘植(つげ) 
サイズ:縦5.6cm×幅4.7×厚み1.8cm   
仕上げ:木地   
販売元:海宇商事
製作:中国
備考:
・一体ごとに木目や色味等が若干異なる場合がございます。
・写真は入荷商品の中から無作為に選んだ実際の商品です。
・実際の商品と掲載写真では色味が異なって見えることがございます。
・万が一在庫切れの場合は、メールにて納品予定日をお知らせいたします。
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